親子(面会)交流問題のご質問とアドバイス
親子交流の意義
- 親子交流は、子供に有益なのでしょうか?
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わかりません。
親子交流の意義は、①自分は片親だけでなく、両方の親から愛されているのだ、という確認ができること②同居親からの精神的自立③異性の異なる考え方を子供が受け入れることで、精神的に成熟することの3点といわれています。
しかし、これは、何か科学的根拠があるわけではありません。たぶんそうだろうと推測しているだけです。統計はどうなっているでしょうか。
日本加除出版の家法から、子供時代に親子交流を経験した方たちの、親子交流についての感想が統計数値として発表されています。親子交流全体としては、楽しかったが5~7割以上であり、逆に、退屈・苦痛が10%~30%ありました。特に父親と同居している子が女性の場合、別居している母との面会交流を肯定的にとらえる子が多いという統計数値がでています。
全体としても、面会交流に肯定的な感情を抱く人が多いようです。
ただし、これは、離婚全体の8割をしめる円満離婚したケースを含めての統計です。これを含めての感想でさえ、肯定的感想は、5~7割程度にすぎないとも言えます。
夫婦間で激しい対立関係が生じ、弁護士や調停委員が関与した離婚事件に限定すれば、否定的感想の方が多くなる可能性はあります。
さらにいえば、これは、所詮は統計数値。個々の事件での子供の真意は千差万別です。親子交流事件は、永遠に正解は見つからない事件なのです。
ただ、一つ言えることは、パーソナリティに問題のある別居親との親子交流は、マイナス面が多いということです。
離別前に別居親から虐待・ネグレクトがあると、面会交流によって、気持ちの落ち込み、喪失感・孤独感、板挟み感を強く感じていることが統計上、明らになっています。同居時に別居親から虐待・ネグレクトが加えられている場合は、面会交流は、子供の精神的健康に被害をもたらすことが統計上明らかです。
子どもに直接虐待をしなくとも、目の前で配偶者にDV・モラハラ行為をするのも虐待行為であり、子供はそういう親との親子交流に否定的見解を抱きます。
別居親のパーソナリティに問題があるときは、面会交流は避けるべきというのが、統計からわかります。
調停での協議を通じて、別居親が情緒不安定、攻撃的等問題のあるパーソナリティのときは親子交流を否定する方向に動くのは統計数値からも合理性があることがわかります。
同居親のパーソナリティに問題があるときは、調停委員会は、できるだけ多くの親子交流を実現させようとしますが、こういう場合は、逆に別居親自体が、できるだけ同居親と距離をおこうとするので、親子交流を拒否する場合もあります。
親子交流に関する裁判所の基本的指向
- 裁判所の親子交流に対する考え方は積極的なんでしょうか?
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時代とともに変遷しています。現在は、公式的にはニュートラル・フラットな立場とされています。
裁判所の親子交流に対する考えは、米国実務の影響をストレートに受けてきました。かっては、米国の諸々の研究結果が、親子交流に関して否定的だったことから、わが国も親子交流に関しては消極的でした。しかし、その後、米国が親子交流に関して積極的な態度に変ずると、わが国もこれに同調し、ついには原則的面会交流実施論を打ち出しました。これは、親子交流をすると明らかに子の最善の利益に反することを明確に立証できない限り、面会交流は実施するというものでした(あまりに非現実的な意見で、現場では、ここまで極端ではありませんでしたが)。その延長戦で、子が親を怖がっていても、面会するうちに恐怖感はなくなる、という議論が真面目にされました、
しかし、この親子交流原則実施論は、現場を預かる代理人サイドから、「子供の悲惨な状況を考えると現実離れしている」という苦情が続出し、裁判所も、現在は、ともかく会わせろという予断をもたず、ニュートラル・フラットな立場で接すると事実上「変更」しています。
ただ、裁判所サイドから「ともかく合わせろ」と教育され続けてきた調停委員の中には、依然として、親子交流原則実施論に立って考える委員が散見されます。研修会を開いてディスカッションをしても、議論は、親子交流をさせるべきかどうかではなく、どうやって親子交流を実現させるかという方向に傾きがちなのが現実です。
面会交流のポイント
- 裁判所が面会交流で注目するポイントは何ですか?
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調停委員会向けに整理表を配布し、注視POINTをあげ、それを総合的に判断するよう指導しています。
裁判所の運営モデルでは、状況を①安全・安心②子の状況③親の状況④親子関係⑤親同士の関係⑥環境という6つのカテゴリーに分類し、①主張・背景事情の把握②課題の把握、当事者との共有③課題の解決に向けた働きかけ・調整④働き掛け・調整の結果の分析評価値等を繰り返していき、円環的検討・調整を行うとされています。
これに合わせた書式を調停委員会に配布し、ここに書きこむことで、親子交流調停事件が円滑に行えるよう配慮しています。
しかし、現実には、この配布された書式を使いこなせているかというと、あまり使いこなせていません。
親子交流調停といっても、一回の調停で当事者との面談に割ける時間は、全体で1時間程度、当事者一人平均30分程度です。しかも、ひと月に一回、年間、7,8回程度です。一方で、時間をかけることはできません。しかも、たいていは、離婚や財産分与、婚姻費用等の問題を同時にやります。働き掛け・調整の結果の分析評価値等を繰り返すのは物理的に無理です。
一番見るポイントは、やはり、当事者のパーソナリティです。
面会交流を求める親は、面会交流が子にとってプラスになるようなパーソナリティか、攻撃的・情緒不安定なところはないか、この確認です。SNSでの悪口、刑事告訴等をするような親は、まず、この段階で、面会交流を大幅に制限する方向になります。
面会交流をさせる親は、子供が嫌がっているというが、親のパーソナリティが原因ではないか、等の確認がポイントです。相手はモラハラだと言いながら、言っている本人自体がモラハラ傾向のあることは珍しくありません。
どちらの当事者も、自分の感情は隠して、「子の最善の利益」を主張しますので、当事者から出された主張書面などは、参考程度です。一番見るのは、当事者の行動・発言態度。ここから、理性的合理的に動ける親か、感情をコントロールできない親かを判断します。
その上で、別居親の喪失感・同居親の嫌悪感のレベルを対比し、子供が二人に挟まれて、どれほど苦しんでいるか、どの方向が子どもにとって最善かを考えます。
悩ましいのは、同居親が感情をコントロールできないパーソナリティのとき、強引に面会交流を実現させようとすると、それが子ども苦しめることになる場合です。
親子交流は、本来は、子の最善の利益を実現すべきですが、現実には、両親が、無意識のうちに自己の喪失感・嫌悪感の感情を優先してしまっており、その中に立たされた調停委員が、双方から非難されながら、右往左往しているのが現実です。
こういうこともあり、面会交流だけは担当したくないという調停委員に時々遭遇します。
祖父母との面会
- 祖父母との面会交流は可能ですか
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特に必要性があれば可能です。
旧法時代は、父母の監護の一態様としての面会交流として定められていたため、①審判では、祖父母との面会交流はできない、②祖父母には、面会交流申立権がないと解されていました。
しかし、子が永年にわたって祖父母と同居し両者の間に愛着関係が形成されていたような場合は、祖父母との面会交流を実現させることが子の最善の利益にかないます。
一方、祖父母の中には、昭和時代の発想そのままに孫の育児にうるさく口出しする祖父母も見られます。
そこで、現行民法では、子の利益のため特に必要があると認めるときは、祖父母等父母以外の親族と子との交流を実施する旨を定めることができる。と規定し、さらに、父母以外の子の親族(子の直系尊属及び兄弟姉妹以外の者にあっては、過去に当該子を監護していた者に限る。)にも申立権を認めています(民766条の2)。
特別な必要性というのは、主に子が永年にわたって祖父母と同居し両者の間に愛着関係が形成されていたような場合を指します。
試行的親子交流
- 新たに試行的親子交流が制度化されたと聞きましたが
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家事法152条の3(156条、258条)、人訴34条の4に規定されましたが、新たな制度ではなく、従来の実務を明文化したものです。
親子交流調停・審判事件の難しさは、当該別居親との親子交流が果たしてプラスになるかは両親のパーソナリティを含めて慎重な調査が必要である一方、親子交流を必要とする子供には、できるだけ早く別居親との面会交流を実現させる必要があることです。
そこで、現在でも、家裁調査官による調査の一環として当事者双方が合意していることを前提に、試行的親子交流を行い、その場面を調査官が観察して、調査報告書を作成することは日常的に行われています。
これは、あくまでも調査の一環ですから、調査の必要性が乏しい場合、例えば父母間の葛藤が低く親子関係も問題がないときは、直ちに親子交流を行うべきです。また、DVや子の虐待等があり、面会交流を行うべきでないことが明白な場合は、試行的親子交流を行うべきではありません。
親子交流と婚姻費用
- 別居親ですが、面会交流と婚姻費用の支払は関係のない問題だと聞きました。相手の言動を考えると、感情的理由から、婚姻費用は支払いたくありません。それでも、関係なく、面会交流は求めることができるでしょうか。
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面会交流と婚姻費用の支払は事実上リンクしています。婚姻費用を支払うべきなのに支払わない場合、面会交流の実現は難しくなります。
面会交流と婚姻費用の支払は、リンクしていないといわれますが、それは、婚姻費用の支払い続けながら面会交流を実現できていない場合に使う言葉であって、その逆はありません。
婚姻費用等の支払は、その別居親の子供に対する愛情が一番現れる部分です。そこで、収入を誤魔化したり、無理筋の理由をいって支払いを拒否することは、その別居親の子どもに対する愛情が、「その程度のもの」と推測されます。 婚姻費用を確定する前に親子交流の実現を執拗に求めたり、いろいろな理屈を並べて婚姻費用の支払を拒否する親は、面会交流も子に対する愛情からではなく、単に別居親に対するいやがらせから求めていると推測されます。
親子交流と自力救済
- 私は子供の実の親ですから、当然に子供と会う権利があります。裁判の進行とは関係なく子供と会うのは問題ないのでは?
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親とはいえ、相手方との同意、審判がない限り、子供と会うことはできません。
ときどき、親なんだから、自分の子供と会うのに、なんで裁判所の許可が必要なんだという主張が出されます。しかし、現行法は、親は当然に子供と会う権利があるという立場にたっておらず、同居親との合意、または審判がない限り、親は子供とは会えません。
親子交流は、家裁の審判事項ですが、家裁の審判手続きは、非訟手続きであり、本来、存在しない権利を創設する手続きです。親子交流が非訟事項として規定されていること自体、親は親であることを理由として子供と会う権利はもともとない、とういうことを前提としています。 もし、親が親として当然に子供と会う権利があるとするなら、地裁の訴訟事項にしなければなりません。
共同親権と面会交流
- 現在、子供と会えていません。もし共同親権になったら、子供と自由に親子交流できますか
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できません。親権と面会交流は、関係ありません。
子どもと会えないのは単独親権だからで、共同親権になったら子供と自由に会えるという誤解が、なぜか、実務家や別居親の間で広がりました。弁護士も含めて、どうしてこういう初歩的な誤解が蔓延したのかわかりませんが、親子交流は子の監護権の問題であり、親権問題とは関係ありません。
親権がなくとも、旧法時代でも可能であった監護を分掌すれば、共同で監護できるし、親権があっても監護権がなければ親子交流はできません。もし子どもと親子交流したいなら、親権者でも親子交流の申立をするしかありません。
面会交流と調査官調査
- 妻は子供が会いたがっていないとして面会交流を拒否しています。私の代理人は、調査官調査を要求していますが、調停委員会は、応じてくれません。
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調査官調査が子どもにとって負担となるときは、行いません。
かつて東京家裁では、面会交流事件は、「全件調査官立会い主義」が行なわれていたことがあります。親子交流の当事者は、本来、子供であり、子の意思を尊重すべきである以上、調査官調査は、当然行うべきと思われます。しかし、子供に対して調査官調査を行うことは、子供を紛争により巻き込むことであり、子供にとって大変な負担になるし、子供を傷つけることにもなります。そこで、現在では、「全件調査官立会い主義」は廃止されました。
そこで、調査官調査をするまでもなく結論がでるときは調査官調査は省略します。ただ、直接的親子交流を否定するときは、さすがに調査官調査はするようです。
この調査には、意向調査と心情調査の二種類あります。子の意向調査は、概ね10歳以上の子供に対して行われ、子の心情調査は、概ね10歳未満の子供に対して行われます。子供が、両親の板挟みになってどのような心情なのか等、かなり科学的な観点から調査をします。
親子交流を否定する審判
- 審判に移ったとき、必ず面会させるという審判を出してくれるものでしょうか?
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親子交流させないという審判はさすがにでませんが、面会すべきでない事案では、間接的親子交流で終わらせます。
親子交流が子どものためにならないとき、直接的親子交流は否定されます。しかし、親子交流そのものを否定することは、別居親は親として失格です、みたいにとらえられるとまずいので、間接的親子交流だけは認めるようにしています。
直接的親子交流が否定されるのは、DV加害者、児童虐待者とか薬物やアルコールの中毒者、重度の精神障害者の場合、それとやたらと闘争的な方です。
DV加害者、児童虐待者とか薬物やアルコールの中毒者、重度の精神障害者、こういう人たちが、親子交流に適さないこと、つまり原則として親子交流をさせないことは、おそらくあまり異論はないと思われます。
それ以外で、再婚した場合とか、離婚で争っている場合でも、家裁は面会させています。
しかし、親子交流を夫婦間紛争の一つとして認識し、親子交流で「戦う」当事者や代理人、これは、親子交流が何かを全く認識していないわけで、こういう人たちは、親子交流させないとは言わないけど、家裁では、間接的な親子面会交流とか、そういう方向でお茶を濁して終了させます。実子誘拐で刑事告訴するなんて、その典型例ですね。
親子交流のコツ
- 親子交流をうまく行うコツはなんですか
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細く長く無理をせずです。また、子供の前で喧嘩をしてはなりません。
面会交流は、「細く長く」がコツで5年経過すれば大体円満にいきます。
非監護親は、どうしても、親子交流の「量」にこだわります。できるだけ多く面会したいといい、調停でも、もっぱら回数や時間が争点になります。
しかし、親子交流のコツは「細くとも長く」です。おおむね5年以上継続した親子交流は、その後も、順調にいくことが統計的に証明されています。そのような場合は、子供が成人したのちも、非監護親との交流は円滑に行われます。
ただ、大切なことは、親子交流よりも、養育費です。離婚後の子供は、子供ながらに、経済面で大きな不安感を抱いています。いくら、親子交流を重ねても、経済援助をしぶるようでは、子供も、この親は自分にプラスにならないと割り切り、親子交流に消極的になります。
子どもが成長後、別居親との関係性を築けるかどうかは、養育費の額に比例します。子供の前では絶対に喧嘩をしないことも重要です。
子供は、両親の板挟みになり、親が想像する以上に傷ついているばかりか、親子交流は、想像以上に、子供に圧力を与えています。表面的には喜んでいても、内心は、そうではありません。
にもかかわらず、子供の前でトラブルを起こすことは、子供にとって恐怖以外の何物でもなく、子供に激しいストレスを与え、以後、親子交流を嫌がります。 たとえ、相手方に全面的に非があろうとも、感情的になってはいけません。
もし親子交流でトラブルが起きたら、親孝交流の適格性を欠くと裁判所から判断されるリスクを覚悟すべきです。
親子交流を行ってきたが中途で断られたという相談は、数多くあります。
事情を聞くと、たいてい、トラブルが起きたのちに親子交流が拒否されています。相手の言い分があまりにも理不尽なときは、立腹するのは当然ですが、親子交流の意味を考えれば、我慢すべきです。もしこれができないなら最終的には間接的親子交流にかえられてしまいます。
親子交流は、子供の福祉のために認められているのであり、子供の権利であって、親の権利ではありません。
親子交流の間接強制
- ①親子交流が審判や調停で定まったが、監護親が面会を拒否した時は、間接強制ができますか
②間接強制を考え、調停では、親子交流をできるだけ具体的に定めたいのですが -
①調停・審判で、親子交流の内容が具体的に決められていれば、間接強制ができる場合もあります。
②調停で、いきなり間接強制可能な条項を定めることは、原則として避けましょう。
親子交流の直接強制はできませんが、制裁金を支払わせることで間接的に親子交流を強制することは可能とされています。
最高裁は、平成25年3月28日、調停条項に基づく面会交流について間接強制の可能性に関する判断を示しました。
以下の3点につき、給付請求が可能な程度に具体的に条項が定められているときは、間接強制も可能です。
1 [面会交流の日時または頻度] が具体的に定められている。
2 [各回の面会交流時間の長さ] が具体的に定められている。
3 [子の引渡しの方法] が具体的に定められている。
問題は、このような間接強制可能な親子交流条項は、非常に使いづらいということです。例えば、面会交流を、毎月、第一日曜日の午前9時、甲駅で引き渡し、午前12時、相手方の自宅にまで送り届けるという規定をした場合、どんな理由があろうと、相手方の同意がない限り、変更できなくなります。例えば、仕事の関係で第一日曜日は無理だから前日の土曜日にしてくれといわれても、具体的に決まっている以上、変更はできなくなります。
もともと両親間の葛藤が激しい場合に、間接強制可能な親子交流条項が定められますから、相手が、変更に同意することはありません。
その結果、親子交流が硬直化してしまい、結局は、親子交流自体が困難になります。間接強制可能な親子交流条項は、親子交流が永続きしないのです。
ですから、まずは柔軟な親子交流条項を定め、その中で信頼関係を構築するよう努力すべきです。それで、相手が不履行になったときのみ再度申立てをし、今度は、間接強制可能な調停条項を定めることになります。
ただし、この間接強制が可能なのは、子供がおおむね小学校中学年以下の場合です。それ以上になると子供は自分の意思で動きますので、間接強制は難しいとされています。
そのため、間接強制可能な条項でも、子供が中学生以上になり、自分の意思で親子交流を拒否した場合は、間接強制はできません。